人を感動させる音が必ずしも物理特性が優れているわけではない
私は毎日、音楽で感動している。
毎日のように音楽を聴いて、涙をこぼしている。
これは嘘ではない。
オーディオは本当に私が涙をこぼすほど感動させる、
大切なものだ。
このオーディオという魅力をわかった自分を大切に思いたい。
しかし、私の音は別に物理特性が優れているわけではない。
人によってはとんでもなく、悪い音かもしれない。
でも、これが私の音であり。個性である。
この音が私である。これで私は自分を保っている。
自分を大切にする気持ち、
それが、オーディオそして音楽を大切にするということにつながっている。
自分を大切にするとき、自分の個性をありのままとして認めて、
自分に自信が出るのである。
それが、オーディオで自己の音楽性とは何かということを追求する成果を産み出すわけである。
音楽とはつまりは、自分のことなのである。
音楽を通じて、そして、自分が存在する。
音楽とはありのままの自分を認めてくれる、そんな良き共感理解者なのである。
このことを理解すると、オーディオが表現する音楽世界による感動の領域が近いものとなるとなると思う。
音楽で感動したいなら、音楽通じて何を得るのか?
そこについて考える必要がある。
この音楽への共感的理解が自分にとっての素晴らしい音による豊かな音楽表現を生み出すわけである。
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