全ては表現出来ない
オーディオの音楽の表現力を考えた場合、
100%の表現はない。
音楽の持つ全てを表現は出来ない。
聴いた音楽をどのように感じるかは、
個人の音楽的な趣向であって、
その趣向外の、興味外は意識のアンテナに引っ掛からない。
自分の好みの意識のアンテナに引っ掛かるのが、
自分の音なのである。
自分の好みのアンテナに、音楽の100%の全てが引っ掛かるわけではない。
全ての音を同時にキャッチは出来ない。
音楽の表現を聴けるのは、その音楽の表現を感受出来る、
そのオーディオ愛好家の感受する能力の範囲で音楽がわかる、ということである。
すなわち、音楽がわかる、そのわかる、という意識は、
つまりは、自分の音楽へのセンスが聴いている自分がわる、ということである。
音楽がわかる、それは、自分がわかるということである。
自分にとっての音楽は自分の音楽に対するセンスであって、
音楽を感じる、それは、自分というものである。
その音楽的なセンスをオーディオに生かしてこそ、
それがオーディオとして自己の主張になり、
それが、音楽を表現するオーディオとして素晴らしいのである。
しかし、冒頭で書いたように、全ては表現出来ず、全ては感受出来ない。
人それぞれが、個人としての音楽的な趣向を持っているものである。
これが、個人のオーディオとしての領域の可能性と表現力を
個人の主体性で表現されるのである。
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