追い求める音、それは、共感 自分にとってのオーディオの表現する音
音楽が好きな私は自分と共感出来る音としての、
オーディオの音を追求しています。
自分の好きな音楽を自分のオーディオで表現するわけですから、
そのオーディオから表現される音、その音が表現するものは、
自分が共感出来る音としての、オーディオが表現する音楽であって欲しいのです。
オーディオで表現される音楽で、その音楽を表現する音に対して、
共感出来るからこそ、そこから、音楽の感動というものがあるわけです。
音楽で感動したい、なので、オーディオが音で表現する音楽とは、
自分と共感出来る音としての、オーディオの表現であって欲しいわけです。
自分と共感出来る音、それは、自分の音楽が好きだという自分の意識に
近い存在としての、オーディオが音で表現する音楽なのです。
自分の意識に近い音、それが、好みの音なのです。
オーディオで表現されるものが、自分の意識に対して、共感出来るからこそ、
そのオーディオが表現した音が、自分にとっての感動する音楽というものなのです。
なので、自分の意識に近い音、自分存在に近い音、その音が表現する音楽、
それは、自分にとって近い存在であってほしいわけです。
自分の表現としてのオーディオなわけですから、
自分の意識に近い音であり、なので、自分の意識と共感出来る音であって欲しいわけです。
これがあって、自分のオーディオで音楽で感動するわけです。
自分が感動するオーディオの音、それが、自分の音楽への想いに近い音であり、
自分にとって身近な存在としての、オーディオの表現なのです。
最終的には自分にとってのオーディオが表現する音とは、
このようにあってほしいわけです。
オーディオの表現する音は、自分の存在としての
音楽を表現するオーディオの音であってほしいわけですね。
自分自身であり、自分の自分の音。
オーディオで表現された音楽、それが自分だと同一感が持てるとき、
それが、本当のオーディオというものです。
0コメント