音楽が濾過されてしまう 美しいだけが、音楽ではないのだ
今の音は綺麗だ。何も汚れのないクリアーな音。
全ての音楽が美化されたごとく表現される。
しかし、ジョン・コルトレーンまでクリアーで美しい、そして静か。
ジョン・コルトレーンの演奏はもっと過激で粗削りではないだろうか?
コルトレーンの音楽がこんなに美しくて、美化されて、いいのだろうか?
ここ数日かなり過激な音楽を聴いていたが、何を聴いても美化されて、美しい。
これが、問題である。
人間、生きることは、綺麗事では済まない。
人には泥臭い、部分や、毒もあるだろう。
私もこれまでの人生でどん底状態になり、
自殺まで数回試みたほどで、そんな私の鳴らす音楽がこんなに綺麗事で、いいのか。
自分の人生、こんなに美しいことばかりではなかった。
これまでに、人の持つ汚い部分、それをイヤというほど経験してきた。
そして、現在の私が鳴らす音、八方美人な音だ、こんなに美化されて、美しくていいのだろうか。
今までの自分の人生を表現したオーディオの音ではない。
私も友達や女性との関係に恵まれているが、それでも、心には闇がある。
自分には、情けなく、だらしのない、弱い部分もあるし。
私の今のオーディオの音は、嘘をついている。
私は自分の鳴らすオーディオの音に向かっていると、
なにかいつわりの自分のような気がする。
これが、私のなのだろうか?と。
私の生きてきた人生、こんなんではなかった。
こんなに美しい美化された音が、自殺し死を意識した人の出す音楽の表現だろうか。
私は、考え込んでしまう。
これは、この音は、自分ではない。
私のオーディオは嘘を表現している。
もっともっと、自分は自分の音楽に対する気持ちを嘘偽りなく、表現したい。
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