存在感としての オーディオの表現するもの
オーディオでは、表現力が大切です。
オーディオが何を表現するのか。これが大切です。
私が困るのは、オーディオが音を表現したときです。
オーディオを趣味としていると、良い音が出ていると意識させるときがありますが、
私は音楽を聴きたいのであって、音を聴きたいのではありません。
オーディオが良い音だと感じられる音を表現したとき、
音楽の存在は消えています。
やはり、私としては、音を主張せず、音楽を主張し、
音楽の存在感の実在感が感じられる表現を好みます。
良い音を主張せず、音楽を主張し、音楽的な音を表現してほしいのです。
オーディオには。
私はオーディオには良い音を求めません。
オーディオに求めるのは、感動的な音楽の豊かな表現力と、
音楽としての存在感です。
オーディオで再生するのは、音楽です。
ならば、オーディオは音ではなくて、音楽を表現出来ないといけないのです。
雷や花火、飛行機に蒸気機関車の音を再現するなら、
オーディオは音を主張してもいいですが、
音楽を再生するなら、オーディオは音楽を表現して当たり前なのです。
再生するものと表現するものは、つながっている必要があるのです。
再生するものと、再現するものが、異なっていては、
変換装置としてのオーディオでは役割がおかしいです。
メディアにはそのメディアとしてのオーディオが表現するものがあるのです。
オーディオは何を表現するのか、ここが根本なのです。
ここが原点的な考えですね。
mail yyaudiolike@gmail.com
Twitter @yyaudiolike1
URL https://audiolike.amebaownd.com/
0コメント